復職して時間がなかなか取れていないリラ猫です。
育児に昼間の仕事に占いにブログにTwitterにASKfmにYouTubeに…… と行っていると、ほとんど勉強する時間が持てていませんね。はっはっはー。
自転車通勤なので移動中に勉強するわけにもいかず……
自転車に乗りながらスピーカーでKindle読み上げさせている女性がいたら、それがリラ猫です。 そっとしてあげてくださいw
本日のLIVE放送は、こちら。
自己肯定感の高め方
この放送をしたくなった動機
もともと育児放送をしたいと思っていたんですが、その動機は「母親の負担を少しでも減らす為」だったんです。
「こういった発言をしてると、後々の育児が大変になりますよー。お互いのために気を付けましょうねー」
みたいな話をしたかったんです。
けれど、母親にかかる負担って「育児そのものよりも周囲の大人の影響も大きくない?」と感じたため、路線を変更しました。
具体的な母親批判の言葉
動画内で愚痴っていますが、子どもが生まれる前から「母親批判」は始まっています。 何故か父親は批判されにくい不思議。
妊活
- 「早く孫の顔が見たい」
- 「そんな年齢で産むのは子どもが子どもを産むようなもんだ」
出産
- 「え、自然分娩するの? 死ぬほど痛いのに?」
- 「帝王切開とか甘え」
授乳
- 「なんで母乳にこだわるの? 粉ミルクじゃダメなの?」
- 「母乳が一番母親の愛情を感じるわよ」
オムツ
- 「今時布オムツなんて変わってるね」
- 「紙おむつとか高いし勿体ない!」
離乳食
- 「この育児書通りにやらないとだめ!」
- 「アレルギーの心配をもっとしなさい!」
外出
- 「ベビーカーに乗せればいいじゃない」
- 「子どもはお母さんの抱っこが一番安心するんだよ」
運動
- 「まだ歩き出さないの?」
- 「そんな無理矢理歩かせちゃ股関節に負担がかかる!」
リラ猫の叫び
うるせーーーーーーー!!!!!!!
だまれーーーーーーー!!!!!!!
妊活~出産~乳児育児の約2年間だけでも、これだけの事を「親・親戚」「友人」「隣人」「赤の他人」から言われ続けるわけですよ。
どんなにメンタル超健康なお母さんだってね、病んで当然ですよ!!!
自己肯定感の回復が先
いろんな人から批判・意見の押し付けを受けて、発生してしまう「自己肯定感の低下」。
これをどうにかするのが、最も育児が楽になるのではないか、と考えたので、この話題にしました。
母親以外にも、自己肯定感の低さに悩んでいる人は結構いるので、万人に役立つ放送だと思います。
自己肯定感の定義
自己肯定とは
物事を話す時に忘れがちなのが「定義」
いろんな方が「自己肯定感が低くて……」と悩んでいますが、「自己肯定感が高い状態」ってどういう状態か考えたことがありますか?
リラ猫が唱えている「自己肯定感が高い状態」とは「あるがままの自分を受け入れている状態」です。
つまり、等身大の自分を自分自身であると認識している状態ですね。
- 得意な事を得意と誇れる
- 苦手な事を苦手と言える
そんな状態が「自己肯定感が高い状態」であると考えています。
自己否定とは
逆に「自己肯定感が低い」とはどういう状態か?
あるがままの自分と異なる自分を自分だと思い込んでいる状態ですね。
- 私ならもっとできるはずだ
- 私なんか存在価値なんてないのよ
という状態です。
人は基本的に自分が大好き
人は、基本的に自分が大好きです。
それなのにも関わらず、自己否定をしてしまうのは何故でしょう?
それは自分以外の誰かが、自分に「ラベル」を貼ったから。ラベリングされたからです。
- あなたなら簡単に出来るはずよ!
- あなたって本当に不器用ね
- あなたは本当に真面目ないい子ね
- あなたなんて皆が嫌っているのよ
こういった「あなたって〇〇ね」という色眼鏡・思い込み・レッテルなどのラベルを、誰かが自分に貼って、他者が貼ったラベルの姿が本当の自分であると思い込んでしまっている……
それが自己否定の原因の1つになっています。
誰がラベルを貼るの?
こんなラベルを貼り付ける輩はどこのどいつなのか。
- 親
- 先生
- 友人
- 恋人
などなどです。
特に親は子どもにラベルを貼りがちです。
- もう! あんたは本当にいたずらっ子ね!
- あんたは嘘ばっかりつくから信用できない!
- またこんなことして! いっつも不注意でこぼすんだから!
- こんなことで怪我するなんてマヌケだね
こんなこと、言われませんでしたか? 逆にあなたが親ならば、こんな言葉を子どもに言っていませんか?
これがまさにラベルを貼るという事です。
「ラベリング」の弊害
ラベリング効果、という心理作用がある
ラベルを貼られた人間はどのような行動を取るかといいますと、貼られたラベルの通りの人間になろうとします。
つまり「あなたはいたずらっ子ね」とラベルを貼られると、その人は「いたずらっ子」になろうとします。 「いっつも不注意でこぼす」とラベルを貼られると、不注意を直すことなく「不注意でこぼす」という行動を取るようになります。
プラスの意味のラベルを貼った場合
「それなら、プラスのラベルを貼ってあげれば、良い子になるのでは?」
と思う方、いますよね? 残念。なりません。ソースは私。
確かにプラスのラベルを貼ると。プラスの行動や成長をするのは確かです。 けれどそれは一時的な物。
よく聞きませんか? 「あんなにいい子だったのに、ある日突然ぐれちゃって……」みたいな人の話。
これが「プラスのラベルを貼られた人の末路」です。
プラスのラベルで行動や成長が促されるものの、必ず限界が来ます。
「あなたは良い子ね」「あなたは真面目ね」と言われている子だって、たまには悪い事してみたいし、たまにはおチャラけても見たいものなんです。 それなのに、その欲求に従って行動した結果、「あなたはそんな子じゃないでしょ」と追加のラベルを貼られ、欲求を満たす道が断たれてしまいます。
それでもその欲求を満たしたいんです。うずうずしているんです。
そしてとうとう欲求が暴走して「良い子」「真面目」のラベルから外れた行動を取る……
その結果、親や先生から貼られるラベルが「あなたは大人の期待に応えられない悪い子」です。
リラ猫はプラスのラベルも害があると考えている
「ラベリング効果」で調べると、「マイナスのラベルではなく、プラスのラベルを貼ってあげましょう♪」なんて能天気な記事が結構出てきますが、実際にプラスのラベルを貼られた人の末路は上記にも説明した通りです。
人はそんな常にプラスでいられるわけもなく、プラスとマイナスの両方が存在してこそ、健康な精神の人間です。
それを無理矢理ラベルを貼って、プラスの側面だけ見せるようにするだなんて、無茶な話ですよ。 エナドリがぶ飲みして四徹するようなもんですよ。
だから私は、プラスのラベルも害があると考えています。
「ラベリング」の困った性質
ラベリングは脳の省エネ
ここまで読んで、ラベリングという行為がいかに害があるか、理解していただけたと思いますが、ラベリングにはとっても困った性質があります。
ラベリングは本能的に行われるという性質です。
つまり、ラベリングを止めようと思っても止められないんです。 人間はラベリングする生き物なのです。仕方がないんです。どうしようもないんです。困った。
人の脳はいろんな情報を処理します。 全ての物事を新しく処理していては、本当に考えるべき事を考えられなくなってしまいますため、省エネ機能を搭載しているんですね。
その省エネ機能が「規則性」を見つけるというものです。
「ここにミカンが2つあります」という状況を思い浮かべてください。
本来であれば、ミカンが2つあっても、そのミカンは同一のものではないはずです。 同じ木から生った実でも、実った枝が違うでしょう。位置が違うでしょう。 厳密には熟れ方も違うでしょう。
つまり、2つのミカンというのは、本来は「異なる存在」なんです。 本当は「ここにミカンAとミカンBがあります」と言わなければならないのです。
しかし私たちは、何も意識をせずに「ミカンが2つ」と同一の物として括るわけです。
これが「脳の省エネ」です。
だからこそ、脳は人の性格さえもついつい省エネ化しようとして、ラベルを貼って、楽をしようとするんですね。 ラベリングという行動は、脳にとっては必要な行動なのです。
良いラベルと悪いラベル
ラベリングという行動は脳の本能で行われているので、全てを消し去る事は出来ません。
そのため、そんな脳の機能と上手く付き合っていく必要があります。
それが「良いラベル」と「悪いラベル」を区別することです。
悪いラベルは上記でも言ったように「プラスのラベル」や「マイナスのラベル」…… つまり、ありのままでない自分を表すラベルですね。
良いラベルとは、ありのままの自分を表すラベルです。
そのため、悪いラベルは剥がしてあげて、代わりに良いラベルを自分に貼ってあげましょう。 それが、ラベリングという脳の機能との上手い付き合い方です。
貼られてしまったラベルの剥がし方
私の提案するラベルの剥がし方の基本は「気づき」と「貼らない・剥がす理由を明確にする」です。
気づき
「気づき」にて行うべきことは以下の2点。
- 自分にどのようなラベルを貼られているのかに気づく
- 事実と妄想を分けて考える
これらを行うには、ノートを用意した方がいいです。出来れば無地。
自分の感情をひたすら書きなぐるんです。10分ほど。手を止めずに。 そうすると、自分が自分にどのようなラベルを貼っていたかに気が付きます。
そして、それらのラベル1つ1つについて「事実」か「妄想」かの判断をしてください。
例えば、「私は不器用」ってあったら、 「何が不器用だろう? 裁縫は苦手。綺麗に縫えないから。でも、綺麗に縫えない理由は練習不足だからではないかな? 私って本当に不器用? 不器用は妄想かもしれない。事実は『裁縫で綺麗に縫えない』だ」 のように考えられます。
貼らない・剥がす理由を明確にする
次に「貼らない・剥がす理由を明確にする」にて行うべきことは以下の2点。
- アイディアで解決する
- 行動するメリットを考える
これらを行うには、ノートとは別に付箋を使うと頭が整理されやすいです。ノートでもOKですが。
ラベルを貼ろうとした時、またはラベルを剥がす時に、抵抗感が生まれる場合があります。
例えば「自分はテストで満点を取れるはずだ」というようなラベル。 小学校までは満点が当たり前だったのに、中学では段々と難しくなり、高校では赤点ギリギリになっている…… それでも手放せない「自分はテストで満点を取れるはずだ」というラベルが自分を苦しめます。 「自分は馬鹿だ」とか「努力は報われない」とかいうラベルを生み出すからですね。
この「満点を取れるはず」というラベルを抵抗感なく剥がすにはどうしたらいいだろう?と考えるわけです。 「長期の勉強計画を立てる」「このラベルを来年には取り戻せるよう努力する」というような方法はいかがでしょう? これが、「アイディアで解決する」です。
では次に、このラベルを剥がすメリットを考えましょう。
「自分は満点を取れないと自覚をするから、きっと勉強をしなければならないと素直に思えるだろうな」「友達に素直に教えてもらえるよう言えるかもな」というようなものですね。
このどちらも、いろんな案が出てくるはずです。 できるだけ多くの案を出す事で、ラベルを貼らない・ラベルを剥がす時の抵抗感を和らげます。
ラベルを貼る時の注意点
ありのままの自分を表すラベルは貼っても大丈夫です。
しかしながら、「今」はそのラベルがありのままを示しているかもしれませんが、時間が経つにつれて変わっていく場合があります。
そのため、そのラベルを剥がしやすくしておくことが大切です。
マイナスな意味を持つラベルには、そのラベルの頭に「今は」とか「今日は」というような、時間の限定を示す言葉を入れましょう。
上記の例で出てきた「私は裁縫で綺麗に縫えない」というラベルを貼るとしましょう。 それはぜひ、「今の私は、裁縫で綺麗に縫えない」としましょう。
そうすることにより、裁縫の練習を経た自分になった時、比較的簡単にそのラベルを剥がす事が出来ます。 だって、そのラベルが指し示している「今の私」は、過去の私ですから。
逆にプラスな意味を持つラベルを貼る時は、出来れば行動を認める言葉にしましょう。
「私は優しい人間だ」というラベルでしたら、できればなぜそのように思ったのか行動部分を考えましょう。
「お年寄りと一緒に横断歩道を渡ってあげた」という行動を「優しい」と捉えているのでしたら、「私はお年寄りと一緒に横断歩道を渡ってあげると気分がいい」というような行動に対する気持ちをラベルとして表しましょう。
そうすることにより、常に自分は優しくあるべきと思わなくて済むようになり、人生を楽に過ごせるようになります。
まとめ
- 自己肯定感が低い理由の一つは、他者から貼られた悪いラベルを自分自身と思い込んでいるから
- ラベルを貼る行動は、脳の省エネ化によるもので、避ける事は難しい
- ありのままの自分でない悪いラベルは剥がし、ありのままの自分の良いラベルを貼りましょう
- 自分に貼られているラベルを見つめなおし、整理しましょう
- アイディア・メリットを考えることによって、ラベルを貼らない勇気・ラベルを剥がす勇気を持ちましょう
- 良いラベルであってもいつかは古くなるので、剥がしやすいラベルを貼りましょう
是非試してみてください。
LIVE放送が先か、ブログが先か
以前「ブログを書いてからLIVE放送をした方が、良い放送になりそう」なんて言っていたんですが、今日の記事はLIVE放送を経なければ書けなかった記事かなと感じています。
「プレゼンの練りこみ不足」と言われれば確かにそうなんですが、今の私に更に負荷を強いてもパンクするので「まぁ、趣味だし」という魔法の言葉を使ってしまいましょう。
LIVE放送はどうしても、思ったことを話してしまうので、話がまとまっていなかったり、逸れてしまったりしますね。 それがLIVE放送の醍醐味なのかもしれませんが、何とか効率よく上手くプレゼンを出来るようになりたいものです。
練習あるのみ、ですかね?
来週は恋愛放送
来週のお話は、恋愛にまつわる話をしたいと考えています。
異性が自分に興味があるのかないのか、ヒントだけでも心理学的側面から分かれば、心強い物がありますよね。
頑張って調べてみます!