うつっぽい自分と元気な自分の二人が共存している状態で、昼は元気、夜はうつっぽい自分がいます。
会社でのトラブルが原因で再発したうつ症状なので会社に現状報告しているんですが、うつ経験のない人にはうつ状態の人の感情とか葛藤がわからないようです。
分からない = ひどい!
って言いたいわけではなく、未知の世界のようで想像さえも出来ないようです。
……という現状があるならば、心情をブログに記す意味もあるかもしれないですね。
自分を害する時の心情
周りの勘違い
勇気を持って一歩を踏み出すならば、その勇気を私に打ち明ける方向に使って欲しかった。
……と残された方は言いますし、私の友人が亡くなった時もそのように思いました。
今まで私自身も何度もうつ状態に苦しめられてきたので、踏み出さずに頑張っている自分と踏み出してしまった友人を対比して、凄く凄く苛立ちを覚えました。
何で? どうして? と問い詰めたいけれど、もう口を開くことがありませんから、聞くことも出来ません。
とはいえ、今ならば分かることは、別に勇気を出して踏み出したわけではなかったのだな、と言うことです。
踏み出す事は呼吸をするように自然な事
11月の中頃に、旦那、後輩がいる状況で同僚から暴言を浴びせられました。 リモートで顔が見えないから、尚のこと酷い言葉になっていたのかもしれませんね。
「わざと厳しいことを言って、頑張って欲しかった」
とのことですが、私が入社以来取り組んできたこと全てを無意味と否定する発言だったので、まぁ…… 心が音を立てて砕け散る、とはまさにこのことですね。
前の職場でも、上司に依頼されて頑張って組んだシステムは実は実績には繋がらず内緒にしてなければならないシステムだったとか(私が勝手にやり出したことにされた)、大炎上した現場を統率するために仕切っていたのにその功績を先輩に取られたとか。 挙げ句の果てに「使えない」と言われたり「おかしな行動をするやつ」と言われたりとか。
前の職場で自分の働きや配慮を全否定された経験があり酷く病んだものの、妊娠という名の休息を経てようやく社会復帰したのに、また同じ事で傷付けられました。
前職で「ヒビが入った」ならば、今回は「粉砕」です。
その暴言を吐かれた日は、旦那は自宅、私は後輩指導のために後輩と2人で本社に出社してました。 暴言を吐かれたその日の帰り、息子の保育園の迎えに行き、そのまま道路に……
この時、勇気とかそういう感情はありませんでした。
呼吸をするかのように。
歩くためには足を前に出すように。
私が私であるためには、それは当然やることである。
と思っていました。そこに判断はありません。
でも私が足を止めた理由は
「最後に旦那に挨拶しとこうかな。それからでも遅くはないよね」
これだけ。
春になったら卒業する。そして新しい学校に行く。会えなくなって寂しくなるから、最後ぐらいはちゃんと挨拶しておこうかな。
ぐらいの感覚でした。
正直その精神状態自体が異常をきたしているので、家に帰って旦那を目の前にして感情を吐き出して大泣きして…… をしたら、幸いなことに私はあの時の一歩を再び踏み出さずに過ごしています。
周りからどうされたかったか
上記の話を他者にすると、大抵無言になられます。 まぁ、そりゃそうだよね。なんて声をかけて良いか分からないだろうね。 こちらは「あぁ、無関心なんだな。どうでもいいと思ってんだな」って思いますけどね。精神に異常をきたしているので、理性的に現状を把握し相手に寄り添って理解しようとする自分と、自己中心的に悲観的になってしまう自分が存在し、相反する感情に苛まれます。
理性的な自分と自己中心的な自分。 どちらも同じ結論に辿り着ける発言をしてもらえると、こちらとしては素直に安心できると思えました。
効果アリ:「生きてくれてよかった」「話してくれてありがとう」
まず、話したことに対して、自分がどう感じたかを話してもらいたいと思いました。 見出しのような発言でもいいですが、「いなくなったら寂しくなっちゃうね」とかもありですね。
さすがに「くだらねー」とか思うのであれば言わない方がいいですが。
素直に生きていて欲しいと思う人からの発言には、どんな言い回しであれ、「ひとまず話してよかった」と話した側は思えると思います。
逆効果 :「そういうことしちゃダメ!」
説教されるともう、いろいろ飛びますね。 粉砕した心のかけらが暴風に吹き飛ばされて修復不可能になります。
兆候がある人、行き着くとこまで行っちゃった人は、少なからず悩んでいます。 悩んで苦しんで出した結論が、話した言葉なんです。
それを頭ごなしに「ダメ!」と言われると、当人は「どうにかして止めなきゃ」と必死なのかもしれませんが、言われた側は「自分の悩みも苦しみも全て無駄なことなんだな」と捉えます。 もちろん理性が働いている状態ならば理解できるでしょうが、働かないほどに追い詰められている・脳が機能していないから最悪な結論を出すんです。
理屈抜きにこれはもう、禁句ですね。やんわりと言葉を変えて伝えてもNGです。
「別の方法を考えない?」とか「その人と話したら何か変わるかもよ?」もNGです。 「お前は怠けてる。甘えるな」にしか聞こえませんね。
効果アリ: 食事・旅行のお誘い
外に出たくない人でも「最後に私との思い出を作るのに付き合ってよ」と言われたら、少なくともその約束を果たすまでは踏ん張れそうです。
友達の約束を守らなきゃ
それだけが僕の死ねない理由
本気で思ってしまった
笑ってよ 笑ってくれよ
ーーー amazarashi 『雨男』より抜粋
上記の歌詞は、酔っ払って久しぶりに電話をかけてきた友人に「行こうぜ、飲みに」と言われ、飲むと約束をした後のサビの部分です。
歌だからそれっぽく良い感じにしているのではなく、本当にガチで、心の支えになります。
私も、約束してないのに「最後に旦那に会ってから……」という気持ちが結果的に私の命を救いましたから。
逆効果 : 行動・趣味の提案
心が壊れて引きこもってしまう人に「外に出たら?」は禁句……とまではいきませんが、効果はないですね。 繰り返し言われてうんざりするという意味では逆効果です。
なんでしょうね。放り投げられてる気分になるんです。 「お前一人で解決しろよ。子どもじゃないんだから」と。
うつになったのも、トラブルになったのも、動き出すことができないのも、全部自分のせい。 だからどうにか改善しなきゃ。 ……って人一倍思ってるんですよ。でも出来ないんですよ。
「お散歩するけど一緒に行かない?」断られても明るく「んじゃ、今度また誘うねー」とドライに、でも気にはかけてもらえている。 そんな距離感が、安心できます。
参考になれば幸いです
所詮、私の体験談で「私はこう思った」なので、これはあくまでも私の取り扱い説明書です。
基本的にうつは脳の伝達物質の不足が原因で起こる病なので気持ちでどうにかなるわけではないですが、患った人がどういう状態でどうしてもらいたいのかを理解する足掛かりになると幸いです。
どちらにも歩み寄りが必要
我が社では、月一で社長と面談をするのですが、私は精神を病んでるので社長の奥さん兼顧問弁護士が同席しての三者面談です。 2人とも「辛い時は無理しないでね」とは言ってくれるものの、強い2人なのでたぶんメンタル系の病とは無縁でしょうね。
なので私の話も「友人に聞いたらこんな感じで大変だったって言ってたー」という、友人の体験談と照らし合わせて理解・歩み寄りをしている状態です。
心が粉砕してから、季節の変わり目&雨の日がえげつない程に辛くなりました。お布団から出られなくなります。 その状況を説明した上で体調管理に気をつけますと話したところ、
社「低気圧に敏感な人は、天気予報よりも正確に当てられるらしいよ」
奥「え、天気当てられるってすごくない!?」
という、なんというか、天然が入った彼女の反応に毎回笑わされていますw 素直な方なんです。
「私の場合は、理性的な自分と自己中心的な自分の2人が存在していて、正常な時は理性的な自分が自己中心的な自分を律しますが、雨が近いと自己中心的な自分が暴れるので、2つの感情の間に挟まれて大変です」
と伝えたところ、すごく興味深そうに、新しい図鑑を渡された子どものような反応をされました。
知らないんだな。とも思いました。
だから、こうして記すことで誰かの目に留まり、その誰かが別の誰かを助けることに繋がると嬉しいなと思います。
書くきっかけを与えてくれた彼女に感謝です。