占いと自然派療法・ホメオパシーと現代医療

医者になろうかと考えているAndroidエンジニアの占い師リラ猫です。

例えば、現代科学と占いの融合で、 患者の話を聞いた上でタロットで占って診断。 処方する薬も、対策のカードを引いて選ぶ。 どうよ!! 完璧!!!

……これでもし、人が集まっちゃったら、それはそれで恐ろしい世の中だな。

占いと自然派療法・ホメオパシーと現代医療

妊娠して気づいた世の中にはびこる自然派療法

私は今現在、妊娠している。 そのため、妊娠・出産・育児について、 暇があれば調べてしまうような精神状態に陥っているわけですよ。

本ブログにもTwitterにも妊娠していることを書いているので、 いろんな応援のメッセージをいただくのですが、とにかく自分の身の回りには、 驚くほどたくさんの非科学的な対処法が広まっているのだな、と痛感しているわけです。

化学や生物の授業が大好きで、数学の証明なんかよだれが出るほど大好き。 そんな完全理系な私がエンジニアになったら、 根拠のない話とか、ちょっとしたお遊び、娯楽程度にしか捉えられないわけですよ。 ファンタジーの世界(爆笑)って思ってしまうわけですよ。 そんなファンタジーの世界を盲信している人が一定数いることに、 今はとにかく驚くばかり。

完全理系な占い師の占いの考え方

私は占い師をやっているけれど、「タロットは所詮乱数」って言っているぐらいだから、 結果そのものは私自身もあまり信じていない。

そりゃ、占い師と名乗るぐらいだから、相談者の心理状態や状況整理を行うことによって、 タロットの結果を元に、それなりに当たる鑑定は出せる。

対策のカードも、もちろん引いてはいるけれど、 相談者にない視点……もちろん、私にもない視点を 対策のカードから教えてもらうために引いている。

物事は柔軟に考えてやっていかなければ、乗り越えられない事の方が多いし、 占いを「当たる・当たらない」とみるのではなくて、 今まで自分の知らなかった視点を見つけるツール、として捉えているのだ。

だから、エンジニアという理論的に物事を考える職業をこなしつつも、 占い師としてタロットも大切にしているのだ。

あくまで占いはツールだ、と言い張っている私だけれど、 「説教屋」じゃなくて「占い師」としているのにもちゃんと理由はある。

人間の心理というのは、どうしても「超自然」を信じやすい傾向にある。 無宗教国家と言われている日本でだって、仏教は広く信仰されているし、 キリスト教イスラム教など、いろんな宗教観がある。

どれも共通するのは「崇拝する対象」が必ず存在すること。 仏教ならば仏様だし、キリスト教ならばイエス様やマリア様。 イスラム教ならアッラーか。 それらの存在を科学的に証明が出来るのか?と問われれば、否だろう。 それでも、誰しも心に「神」と呼ばれる存在を、心のどこかでは信じているものだ。

占いの……タロットの乱数はまさに「神の意志」に見えるのだな。 だから単純に私が、「しっかり努力を積み重ねなさい!」というよりも、 「タロットカードは、1から地道に努力を積み重ねることによって、大成を得る、と出ています」 と言った方が、人の心に素直に入りやすいのだ。たぶん。

逆に言えば、私自身が変な宗教観を交えて、相談者を変な方に誘導しようと思えば、 出来なくもないわけで…… そこは死後の世界で極楽浄土に行けるようにするためにも、 ちゃんと自分を律して、 正しいと思われる道を相談者に示さなければな、と思っているのです。

結局何が言いたいのかというと、 理系であろうが科学崇拝者であろうが、 非論理的な、非科学的な物の存在を完全否定はしていませんよ。 という事を言いたい。

初めて出会った「レメディー」

この間、占いを行っていて初めて「レメディー」という単語に出会った。

なんじゃそりゃ?と思って調べてみたところ、 例えば、発熱してる患者には発熱作用のある毒を使うと発熱が治る…… といった、ホメオパシーの「同種の法則」なる理論をもとに作り出した 薬まがいの物、が「レメディー」

作り方は、ある効果のある液体を100倍に希釈、希釈した液体をまた100倍で希釈…… それを何度も繰り返して出来た希釈液を砂糖玉にしみ込ませたもの。 それが「レメディー」なるものだ。

最初に言った。私は化学と生物が大好きだ。 つまり、私の頭は基本的に原子論を軸に考えてしまっている。

水っつーのはH2Oで、 ある液体の化合物は希釈することによって最終的には0個になるはず。 だから、ある液体の効果を得ようと思っても、 最終的な希釈液の中は、高い確率で液体の化合物は0個なのだから、 真水をしみ込ませた砂糖水を「薬です」と言っているのが「レメディー」である、と解釈し、 世の中のトンデモ科学に仰天したし、正直爆笑した。

「水の記憶」だとか「液体の波動」だとか、私は一切信じていない。 水なんてH2Oだし、それも元をたどれば、陽子と中性子と電子の塊。 水そのものに記憶なんてものは定着しない。 レメディーに薬効なんて存在しないわけだ。

しかし「偽薬」という意味では「レメディー」というのは、 素晴らしく効果を発揮する物なのではないかと思っている。

「病は気から」ということわざがあるように、 気持ちの持ちようで、免疫力や自然治癒能力が高まる事象は、実際に発生している。 「解熱剤だよ」っていってレメディーを渡せば、本当に熱が下がった…… という事象が発生しても、おかしくないと思っている。

ただそれは、思い込みの効果によって自然治癒力が高まっただけであって、 間違っても「レメディーの効果」ではない。 ぶっちゃけ、空のカプセルを飲ませたって同じ効果を得るだろうね。

どちらにしても、人間という生き物は不思議なもので、 「思い込みの力」というのは、使うべきタイミングで使ってみるのも一つの手だと思うのだ。

行き過ぎた自然派療法・ホメオパシー

「白砂糖は体を冷やす!」「白米より玄米!」「予防接種は害悪!」 という話は見た事ないだろうか? これは自然派療法の考え方からくる物らしい。

まぁ、白砂糖っていうか、砂糖自体が糖尿病だの、そういうのを誘発するし、 特に甘い物というのは快楽物質にも似たものであるから、依存性がある……

とかまぁ、いろんな説があるんだけれども、 大体「白砂糖はダメ!」って言っている人って「黒砂糖はOK!」って言っているんだよね。

いや、黒砂糖の黒って不純物故なんだけど……

確かに、白砂糖よりはミネラルとかあるかもしれないけど、所詮は「砂糖」なんだけど……

黒砂糖はOKだからって、なめ続けてたら、これだってもれなく糖尿病まっしぐらだからね。

白米より玄米理論も、良く分からん。 玄米の方が栄養はありそうだけれど、腸で吸収できる栄養素という観点でみると、 玄米は吸収できない状態で腸に届くらしいし、 何より玄米を消化するために、何だったかのビタミンを大量に消費するから、 玄米が主食だった昔は脚気が多かった、とか……

おいしさだけじゃなくて、ちゃんと理由があって白米を食べているんだと思うんだよね。 まぁ、たまにならば玄米もいいと思うけど。

予防接種が害悪かどうかは良く分からないけど、大体その後に続く話は、 「自然に感染した方が免疫力が高まる!」というもの。 いやぁ、自然に感染しちゃったら、免疫着く前に死んでしまう気がするんだけど……

まぁ、上記は私の憶測さ。 でも、実害があった例もしっかりとある。

レメディーなんかは、ホメオパシーを妄信していた助産師が、 必要な栄養シロップを与えないで、代わりにレメディーを与え続け、 その新生児は死亡してしまった事件もあるし。

某アナウンサーは自然派療法?代替療法?に頼った挙句、 ガンの標準治療を受けるタイミングを逃して死亡しているし。

アトピー皮膚炎の子どもにステロイド剤を塗るのを拒否して、 自然派療法に大金をつぎ込むも、効果がなくて悩み続ける親もいるし。

科学の力をもっと信じていれば、 救えた命、苦しまずに済んだ時間があるのではないかな、と思うのだ。

自然派療法で治るかもしれないと思うなら、やってもいいと思う。 けどそれは、本当に最初の融通が利く時だけ。 それも、しっかりと経過観察が行える医療設備が整った状態で、やるべき事だと思う。 経過観察自体は、医療の世界でも必要とされていることだし、 それを怠って自然派療法に頼るのは、愚かにもほどがあると思うのだ。

まぁ、そんなんで、ちょいと自然派療法は行き過ぎちゃってる感が強いのよね。 こう、もうちょっと柔軟に科学と非科学を融合させて 物事を考えられないのかな、と思うのです。

私のスタンス

自然派療法をメタメタに斬りまくった私だけども、 科学を元にした医学を信じていない部分もある。

というのも、私は元々体がそんなに強くなくて、 中学生まで毎日のように医者に処方された薬を飲んでいたのだ。 お陰様で、錠剤一気飲みできた量の最高記録は11錠です。 粉薬も3種類同時に飲むとかやっていたし…… それでもね。私の体調は良くならなかったわけです。

常に風邪の症状があって、頭痛→腹痛→咳→吐き気→発熱→頭痛…… のように、体調不良のローテーションを繰り返していた…… そんな時期がありました。

それを、高校の友人(今思えば、自然派療法信者だったのかなぁ)に、 薬をやめた方がいい、とアドバイスをされ、 反抗期だったこともあり、処方された薬を飲むのをピッタリとやめました。 その結果………… 何も体調が変わらないんだよね(爆笑) 私が今まで飲んでいた薬というのは、無意味だった、と思い知らされた瞬間でした。

今思えば、自律神経失調症の症状だったのだと思うのですが、 診断違いの薬を飲まされ続けてたわけだ。

そんな出来事があってから、薬を盲信することは無くなった。 お陰様で病院嫌いだし、今でも旦那に怒られる時がある。

けれど、正しい診断の元で、正しい処方をされた薬は、 やはりしっかり病状に効くのを痛感している。

「医者に殺される」という考え方がないわけではない。 だけど、「医者が救ってくれる」という考え方が絶対正しいわけではない。

患者が医者を選び、医者の説明を受けて患者が納得をする…… 医者にすべてを任せるのではなく、患者も病気を治すことに最大限協力しなくては、 治るものも治らない。

占いも、自然派療法も、現代医療も、「盲信」は良くないと強く感じるのだ。 人は弱っている時ほど、何かにすがりたくなるものではあるけれど、 神様も、自然治癒力も、もちろん科学も、 使い方を誤れば、破滅へ導くだけの力を持っている。

そういうのをしっかりと認識した上で、 それぞれの「ツール」を上手く使っていかなければならない、と思うのです。

忘れがちな「当たり前」

この間、同じ妊婦である義姉と話していたのだが、 義姉はどうやら、脚の痒みが治まらなくて、 皮膚科でステロイド剤とヒルドイドをもらったらしい。 その際にお医者さんが「ステロイド剤の風評被害がすごくて……」とこぼしていたのだとか。

上手く使えば、ステロイド剤は病状を軽減し、 回復に向かう手助けをする薬になる物のはず。 実際義姉も 「ステロイド剤との上手い付き合い方を学んだ方が、私には効いた」 と話していた。

これだけ薬が蔓延っていると、ついつい忘れがちな事実なのだけれど、 「薬は元々毒」だからね。 毒を適量使う事により、ある一定の病状に対して快方に向かわせる…… それが「薬」なのだ。

今更、「薬は毒なんだぞーーー!!!」って騒いだところで、 「いや、なに当たり前のこといってんの(爆笑)」 と私は思うわけです。

使いすぎれば毒に変わるのが薬。 だからこそ、薬との付き合い方を研究するのが、医療関係者。 その研究成果を元に、副作用が出来るだけ少なくなるように、 気をつけながら、処方を守って使うのが患者。

そんな「当たり前」を忘れてはいけない。

最近、占いの相談者で「盲信」する人があまりにも多かったので、 記事にしてみました。 まっ、何事も「適度」って大事よね。